実家に帰るたび、少しだけ不安なったのは、父が78歳を過ぎた頃からでした。
大きな病気はしていません。自分で歩けるし、買い物にも行ける。近所では「まだまだ元気ですね」と言われる存在です。だからこそ、私も「大丈夫だろう」と思い込んでいました。
けれど、違和感は確実に増えていました。
同じ話を一日に三回する、賞味期限の切れた牛乳が冷蔵庫に残っている、階段を降りるとき、以前より手すりを強く握っている。
どれも小さなことです。でも、その小さなことを私は見ないふりをしていました。
夜中の転倒
転機になったのは、23時過ぎの電話でした。
「お父さんが廊下で転んだ」
母の声は落ち着いていましたが、どこか無理をしているようでした。急いで駆けつけると、父は座布団の上に座り込み、「ちょっと滑っただけだ」と笑っていました。
幸い骨折はなし。ただ、病院で医師に言われた一言が頭から離れません。
「この年齢での転倒は、次が怖いです。筋力は年々落ちていますから」
そのとき、私は初めて現実的な計算をしました。
父の年金は月約15万円。母は専業主婦だったため、合わせて月20万円弱。
持ち家ではありますが、固定資産税や光熱費を差し引くと、自由に使えるお金は多くありません。
もし要介護状態になれば、介護保険を使っても自己負担は月2万〜3万円。状態が重くなればさらに増えます。施設に入れば、地域にもよりますが月10万円以上は覚悟しなければいけません。
「まだ大丈夫」と思っていたのは、希望的観測でした。
何から始めればいいか分からなかった
正直に言うと、私は介護の知識がほとんどありませんでした。
要介護認定の仕組みも、どこに相談するのかも知らない。
調べたら現実を突きつけられる気がして、調べるのも怖かったんです。。
でも、動かなければ何も変わらない。そう思って、地域包括支援センターに電話をしました。
「まだ介護が必要なわけではないのですが…」
そう前置きすると、担当の方は穏やかに言いました。
「その段階での相談が一番いいんですよ」
そこで初めて知ったのは、転倒予防の住宅改修に補助が出ることや、要支援の段階でも利用できるサービスがあることでした。知らないまま不安を抱えていた時間が、もったいなく感じました。
親の本音と、子の覚悟
父に今後のことを話したとき、予想通りの言葉が返ってきました。
「お前たちに迷惑はかけたくない」
この言葉の裏には、プライドと不安が混ざっています。
年を重ねることは、できないことが増えることでもある。その現実を認めたくない気持ちも、きっとあると思います。
私は正解の言葉を持っていませんでした。ただ、「迷惑かどうかじゃなくて、一緒に考えたい」と伝えました。
話し合いは完璧ではありません。途中で話題が変わることもあります。でも、ゼロから一歩進んだことは確かでした。
不安を放置すると
知人は、母親が脳梗塞で倒れてから慌てて動きました。
通帳の場所が分からず、保険の内容も把握していなかった。兄弟で役割分担も決めていなかったため、感情的な衝突が起きたそうです。
「もっと早く話しておけばよかった」と、何度も言っていました。
不安は、向き合わない限り消えません。
むしろ時間が経つほど、選択肢は狭まります。
元気なうちなら、本人の意思を尊重できます。
弱ってからでは、周囲が決めることになる場合もある。
その違いは大きいと感じています。
今できる、小さな準備
大きな決断をする必要はありません。
実家の廊下に滑りやすいマットがないか確認すること。
かかりつけ医の名前を聞いておくこと。
年金額や保険の有無を、さりげなく共有しておくこと。
どれも地味ですが、後になって効いてきます。
私もまだ不安がゼロになったわけではありません。ただ、「何も知らない状態」からは抜け出しました。それだけで、気持ちは驚くほど軽くなりました。
最後に
高齢の親を持つというのは、ゆっくり近づいてくる未来と向き合うことです。
見ないふりをするのは簡単。でも、それでは突然の出来事に飲み込まれてしまう。
その不安、放置しないでください。
大きな準備は必要ありません。
小さな一歩でいい。電話一本でも、短い会話でもいい。
あの夜の電話が来る前に、動いてほしいです。


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