「私、まだ一人で全然平気だから。」
母がそう言い出したのは、70歳を過ぎた頃だったと思います。もちろん、私も心のどこかで、その言葉を信じたかったんです。だって、できることなら、ずっと住み慣れた家で、のんびりと最期まで過ごしてほしいじゃないですか。そう願うのは、娘として当然の気持ちだと思います。
でも、72歳のある夜のことです。母から電話があって、「台所でちょっと転んじゃった」と言うんです。幸い、ケガは大したことなかったみたいなんですけど、電話口で震えている母の声が、今でも耳に残っています。「本当にちょっとつまずいただけだから、心配しないで」って笑っていたけれど、その時、私は初めて「このまま一人暮らしを続けさせて、本当に大丈夫なんだろうか…」と、真剣に考え込んでしまったんです。
それが、将来的に施設という選択肢も、頭の片隅に入れておかなければいけないかもしれない、と現実的に考え始めた最初のきっかけでした。
一人暮らしが危うくなるサイン:見過ごせない小さな変化
今思えば、あの時、母の一人暮らしが少しずつ難しくなってきているサインは、いくつかあったんです。
まず、以前よりも、つまずいたり、物を置いた場所を忘れたりすることが増えていました。几帳面な母が、以前は一度しか頼まなかった健康食品を、何度も注文してしまったり。私が通帳を確認すると、もう何年も使っていないサービスの料金が、毎月引き落とされ続けていたり。母の年金は、月に約14万円。決して裕福とは言えません。それでも、いつも「お金のことは心配ない」と強がる母を見て、私の胸は不安でいっぱいになりました。
それから、友達と会う回数も減って、家に引きこもりがちになっていたんです。以前は、近所の友人たちとお茶をしたり、おしゃべりを楽しんだりしていたのに、いつの間にか、一日中テレビをつけっぱなしにして、誰とも話さずに過ごす日が増えていたんです。孤独って、目に見えないから、つい見過ごしてしまいがちですが、確実に心と体を蝕んでいくものだと感じました。
転倒の危険、お金の管理能力の低下、そして孤立。どれも一つ一つは小さな出来事かもしれません。だけど、これらの問題が重なっていくにつれて、「本当に一人暮らしで大丈夫」とは、とても言えなくなってしまったんです。
施設だけが正解とは限らない:焦らず、じっくりと
とは言っても、私はすぐに施設への入居を決めたわけではありません。まずは、住んでいる地域の地域包括支援センターに相談してみることにしたんです。そこで介護保険の申請をして、要支援1の認定を受け、週に2回デイサービスに通うことにしました。また、家の中には手すりをつけたり、段差をできるだけなくしたりと、バリアフリー化を進めました。
その結果、母は今も自宅で暮らしています。
正直に言うと、私も「施設に入れたほうが、介護する側もされる側も、安心できるんじゃないか」と考えたこともありました。でも、本人の気持ちを全く無視して、家族だけで決めてしまうのは、後々後悔につながるような気がしたんです。段階を踏んで、しっかりと準備をすれば、もしかしたら、まだ一人暮らしを続けられる可能性もあるかもしれない。そう実感できたのは、この準備期間があったからだと思います。
施設への入居を本格的に検討すべきタイミングとは?
では、一体どんな状況になったら、施設の利用を真剣に考えるべきなのでしょうか?
私の中で、施設入居を検討する基準にしているのは、「安全な生活を送ることが難しい状態」かどうか、という点です。例えば、夜中に転倒してしまっても、自力で起き上がることができない。薬の管理ができず、飲み忘れや二重に飲んでしまうことが増えた。あるいは、緊急時に連絡を取ることができない、など。もしこうした状況が続くようであれば、自宅での生活は限界に近いと考えた方が良いと思います。
実際に、近所の介護施設を2ヶ所ほど見学してみました。費用は、月額18万円から23万円ほど。決して安い金額ではありません。それでも、24時間体制で介護スタッフが見守ってくれる、という安心感は大きいと感じました。「かわいそうだから、できるだけ家にいさせてあげたい」という気持ちだけでなく、「安全に、そして安心して暮らせる場所を選ぶ」という考え方に、少しずつ変わっていきました。
施設に入るタイミングはいつ?ひとり暮らしとの分かれ目 まとめ
結局のところ、年齢や貯金額だけで、簡単に決められる問題ではないと思います。
家族が夜、安心して眠れるかどうか。本人が、将来への不安を抱え込まずに、穏やかな気持ちで毎日を過ごせているかどうか。その安心感こそが、一人暮らしを続けるか、施設に入るかを決める、一番大切なポイントなのだと思います。
母は今も「やっぱり、自分の家がいい」と言います。だから私は、その気持ちを尊重したいと思っています。ただし、いつ状況が変わっても、すぐに対応できるように、介護に関する情報だけは、常に集め続けています。
もし今、私と同じように悩んでいる人がいたら、まずは誰かに相談してみてください。行政の窓口でも、ケアマネジャーさんでも、誰でも構いません。私自身も、最初は一本の電話から始まりました。でも、話を聞いてもらうだけで、視野が広がり、気持ちが楽になったんです。
施設に入るということは、人生の終わりではありません。住み慣れた家で暮らし続けることも、施設に入って安心を得ることも、どちらも前向きな選択肢です。
大切なのは、「まだ大丈夫」と言い聞かせ続けるのではなく、万が一の事態に備えて、しっかりと準備をしておくこと。その積み重ねが、後悔の少ない選択につながると、私は信じています。


コメント